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匿名希望さんの怖い話|幽霊船と化した日本の漁船の記録

      2016/03/30

皆さんはミイラ船「良栄丸」の話を知っていますか?

<匿名希望さん投稿ありがとうございます>

私もこの前初めて知って、こんな話があったのか、と驚いています。

発見されたミイラ船

【発見】
1927年10月31日、カナダ西海岸バンクーバー島
ワシントンのシアトル港への帰路についていたアメリカの貨物船「マーガレット・ダラー」号は、行方不明になっていた小型漁船「良栄丸」を発見した。
【状態】
ボロボロに朽ち果てた船体、ミイラの転がる甲板、激しい死臭、白骨体、足の無い死体。
船室には、頭蓋骨を砕かれた白骨体とミイラがあった。
船室奥の部屋には、おびただしい血痕が染み付いていた。
船尾の司厨室では、海鳥の白い羽が至るところに散らばっており、コンロの上にあった石油缶の中には、人の腕が入っていた。
船内には食物も飲料水も無く、エンジン機関部は全て破損していた。

ところが、船長室から見つかった3冊のノートには、信じられない惨状が書かれていたのだった。そのノートによると、良栄丸の情報は以下の通りだ。

  • 重量は19tで1本マスト
  • 船主は和歌山県の藤井三四郎
  • 船長は三鬼時蔵
  • 機関長は細井伝次郎
  • 乗組員は12名
  • 神奈川県の三崎港を出港したのは1926年12月5日
  • 約1年間漂流していた

ここで疑問が浮かぶ。





発見された死体は9体、記録には12名とある。

3名はどうなったのだろうか。

不幸な漁船

1926年12月5日、神奈川県の三崎港を出港した良栄丸は、千葉県銚子沖にマグロを求めて進んでいた。天候も思わしくなく、エンジンが調子の悪い排気音を立てていたため、翌12月6日に銚子港に寄港した。

しかし、エンジンに故障はなく、銚子の沖合いで大量のマグロを水揚げした。

が、暴風に見舞われて航行不能に陥ってしまった。

そして12月15日、銚子の東方沖合い1000マイルほど流された時、紀州船によく似た船が現れたので、信号を送ったり船員が叫んだりしたのに、応答も無く通り過ぎてしまったという。

三鬼船長は漂流を決意、記録には「4ヶ月間は食べられる」と書いてあった。

12月16日にも「東洋汽船」と書かれた船が近くを通ったが、応答はなかったという。

なんとか日本へ戻ろうと努力したが、どうやっても逆に流されていった。

記録にはこう書かれている。

「どう工夫しても西北へ船は走らず絶望。ただ汽船を待つばかり。反対にアメリカへ漂着することに決定。帆に風を七三にうけて北東に進む…。しかし、漁船で米国にたどりつこうとするは、コロンブスのアメリカ大陸発見より困難なりと心得るべし」

恐怖の記録

ここからは説明は要らないだろう。

記録文のみで充分に迫力が伝わってくる。

  1. 「12月27日。カツオ10本つる」
  2. 「1月27日。外国船を発見。応答なし。雨が降るとオケに雨水をため、これを飲料水とした」
  3. 「2月17日。いよいよ食料少なし」
  4. 「3月6日。魚一匹もとれず。食料はひとつのこらず底をついた。恐ろしい飢えと死神が徐々にやってきた」
  5. 「3月7日。最初の犠牲者がでた。機関長・細井伝次郎は、「ひと目見たい…日本の土を一足ふみたい」とうめきながら死んでいった。全員で水葬にする」
  6. 「3月9日。サメの大きなやつが一本つれたが、直江常次は食べる気力もなく、やせおとろえて死亡。水葬に処す」
  7. 「3月15日。それまで航海日誌をつけていた井沢捨次が病死。かわって松本源之助が筆をとる。井沢の遺体を水葬にするのに、やっとのありさま。全員、顔は青白くヤマアラシのごとくヒゲがのび、ふらふらと亡霊そっくりの歩きざまは悲し」
  8. 「3月27日。寺田初造と横田良之助のふたりは、突然うわごとを発し、『おーい富士山だ。アメリカにつきやがった。ああ、虹が見える…。』などと狂気を発して、左舷の板にがりがりと歯をくいこませて悶死する。いよいよ地獄の底も近い」
  9. 「3月29日。メバチ一匹を吉田藤吉がつりあげたるを見て、三谷寅吉は突然として逆上し、オノを振りあげるや、吉田藤吉の頭をめった打ちにする。その恐ろしき光景にも、みな立ち上がる気力もなく、しばしぼう然。のこる者は野菜の不足から、壊血病となりて歯という歯から血液したたるは、みな妖怪変化のすさまじき様相となる。ああ、仏様よ」
  10. 「4月4日。三鬼船長は甲板上を低く飛びかすめる大鳥を、ヘビのごとき速さで手づかみにとらえる。全員、人食いアリのごとくむらがり、羽をむしりとって、生きたままの大鳥をむさぼる。血がしたたる生肉をくらうは、これほどの美味なるものは無しと心得たい。これもみな、餓鬼畜生となせる業か」
  11. 「4月6日。辻門良治、血へどを吐きて死亡」
  12. 「4月14日。沢山勘十郎、船室にて不意に狂暴と化して発狂し死骸を切り刻む姿は地獄か。人肉食べる気力あれば、まだ救いあり」
  13. 「4月19日。富山和男、沢村勘十郎の二名、料理室にて人肉を争う。地獄の鬼と化すも、ただ、ただ生きて日本に帰りたき一心のみなり。同夜、二名とも血だるまにて、ころげまわり死亡」
  14. 「5月6日。三鬼船長、ついに一歩も動けず。乗組員十二名のうち残るは船長と日記記録係の私のみ。ふたりとも重いカッケ病で小便、大便にも動けず、そのままたれ流すはしかたなし」
  15. 「5月11日。曇り。北西の風やや強し。南に西に、船はただ風のままに流れる。山影も見えず、陸地も見えず。船影はなし。あまいサトウ粒ひとつなめて死にたし。友の死骸は肉がどろどろに腐り、溶けて流れた血肉の死臭のみがあり。白骨のぞきて、この世の終わりとするや…」

…日記はここで切れている。

だが三鬼船長は、杉板に鉛筆で、以下のような家族宛ての遺書を残していた。

「とうさんのいうことを、ヨクヨク聞きなされ。もし、大きくなっても、ケッシテリョウシニナッテハナラヌ・・・・。私は、シアワセノワルイコトデス・・・ふたりの子どもたのみます。カナラズカナラズ、リョウシニダケハサセヌヨウニ、タノミマス。いつまで書いてもおなじこと・・・・でも私の好きなのは、ソウメンとモチガシでしたが・・・・帰レナクナッテ、モウシワケナイ・・・ユルシテクダサイ・・・・」

奇妙な事実

しかし、記録を調べるうちに、奇怪な事実が浮かびあがった。

数十回に渡って他の船に出会っていながら、救助に応答する船は一隻としてなかったことだ。

そして、吉栄丸は太平洋横断の途中、たった一つの島さえも発見できなかったのである。

しかし、アメリカの貨物船「ウエスト・アイソン」号のリチャード・ヒーリィ船長は、次のように述べている。

「1926年12月23日、シアトルから約1000キロの太平洋上で波間に漂う木造船を発見したが、救助信号を送っても返事が無いので近づきました。しかし、吉栄丸の船窓や甲板に立ってこっちを見ていた10人ほどの船員は、誰一人として応えず、馬鹿らしくなって引き上げたのです」

だが良栄丸の記録にこのことは書かれていない。

一体、彼らにはなにが起こっていたというのだろうか。




 

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