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【ゾッとする話】極限状態が続くと人は人でなくなる…心が死ぬ!

      2016/09/18

チャールズ・チャップリンの代表作《黄金狂時代》を再見する諸君は、その残酷なテーマに驚かされることだろう。
「欲」をテーマにしたこのブラックコメディは、雪山で飢えたチャップリンが己れの革靴を茹でて食べるシーンで笑いのピークを迎える。
子供心に旨そうだなあと思ったあの靴は、実は海藻で作られたものだったとの説もあるが、当時の妻リタ・グレイによれば、本物の靴であったらしい。
撮影を終えたチャップリンは腹痛を訴え、そのために撮影は1週間中断されたという。
しかし、いくらチャップリンが完全主義者だったとはいえ、何故に健康を害してまで本物の靴を食べる必要があったのだろうか?。その答えは、ロケ地となったネバタ州トラッキー湖畔にあると私は考えている。
この地はかつてドナー隊が遭難した場所。チャップリンはおそらく彼らに敬意を表したのだろう。もっとも、飢餓に陥った彼らは靴は食べなかった。

人を食べたのである。

大西洋を越え東海岸から新大陸に上陸した開拓者たちは、天候に恵まれた西海岸に入植するためには何千マイルもの旅をしなければならなかった。
長い旅路には様々な障碍が待ち受ける。
インディアンの襲撃。
無法者たちの略奪。
しかし、そびえ立つシエラネバダの山々こそが最大最悪の難関であった。
山を越せるのは雪の溶けた夏だけだ。
そのためシーズンともなれば移住者を満載した馬車が列をなす。
ジョージ・ドナー率いる総勢87名のドナー隊も「約束の地」カリフォルニア目指して旅立った。
しかし、彼らは季節を間違えた。
遅すぎたのである。

1846年8月、ドナー隊はイリノイを後にした。
ただでさえ遅い出発であったにも拘わらず、彼らの馬車を牽くのは馬ではなく牛。
ノロノロとした砂漠の旅は困難を極め、ユタの砂漠を横断する過程で、既に5人が命を落とした。
ようやく山々が見え始めたのは10月下旬のこと。
冬はもうそこにまで来ている。
この時期の山越えは自殺行為だ。
しかし、砂漠とシエラネバダに挟まれて進退極まったドナーは敢えて山越えを選ぶ。
この山さえ越えれば、そこはもう「約束の地」だからである。

10月30日、案の定、ドナー隊は遭難する。
場所は標高2000メートルのトラッキー湖畔。
吹雪が凄まじく、馬車は雪に埋まり、もうこれ以上先に進むことは出来なくなったのである。
詮方なく、隊はここで冬を越す羽目となる。
住居の心配はない。
丸太小屋の材料はまわりにいくらでもある。
問題は食料だけだ。
果たして吹雪が止むまで、貧弱な牛の肉だけで間に合うだろうか?
間に合う筈はなかった。食料の消耗は思いのほか早く、このままでは隊の全滅は必至だ。
捨て身の救援隊が組織され吹雪の中を旅立つ。
しかし、二度に渡る救援隊は、遂に帰ってこなかった。

12月16日、最後の救援隊が山越えに挑んだ。
しかし、幸先はよくない。
2日目に怖じ気づいた2名がキャンプに引き返してしまう。
そして、クリスマスの夜、荒れ狂う吹雪が彼らを襲った。
「もう食べるものは何もない。彼以外には…」
そう云って、エディはドランを指差す。
ドランは昨日から昏睡状態だった。
「なんてことを云うんだッ」
そう云いながらも一行は、いざドランが死ぬと、これを平らげてしまった。
この吹雪の中で5名が死に、そして調理された。

もちろん塩胡椒はない。調味料は彼らの涙だけだった。




年は明けて1847年1月1日、誰も死なないので、救援隊は食べるものに困ってしまった。
「おなかが空いた、死にそうだッ」
空腹のフォスターは、先達を務める二人のインディアンを調理することを密かに提案する。
これにゾッとしたエディが彼らに忠告したため、新鮮な食材は逐電。
なにいッ、逃げたあッ?
フォスターはエディの横っつらを張り倒し、ライフル片手に雪原を走る。
逃がすものかあああッ。
昔、「ぼく、食べる人」というCMがあったが、今のフォスターはこれ全身「たべる人」。
その体力はどこにあったのか、瞬くうちに彼らに追いつく。

(もうだめだあ)

精魂尽きて樹の根元に倒れ込む彼らの視界に入って来たのは、常軌を逸したフォスターの舌舐めずり。間髪入れずにフォスターは二人の脳天を撃ち抜く。
この事件を契機に救援隊はフォスター組とエディ組に分裂する。
しかし皮肉なことに、生き残ったのはインディアンを喰って体力をつけたフォスター組であった。

1847年1月11日、フォスターたちはなんとか山を越え、よろめきながらサクラメントのジョンソン牧場に辿り着く。
彼らは半裸の上に顔は血まみれ、人を喰って生き存えていたことは誰の眼からも明らかだった。
フォスターたちの報告を受けて、直ちに救助隊が組織された。
しかし、冬の真只中。無事に全員を救出できる保証はなかった。

2月18日、救助隊はトラッキー湖畔に到着した。
キャンプ地ではまだカニバリズムは行われていなかった。
しかし、状況は惨澹たるもので、いくつもの屍体が野ざらしにされていた。
衰弱した生存者たちには死者を埋葬するだけの体力が残っていなかったのだ。
不幸なことに、救助隊の食料も底を尽き始めていた。
木乃伊取りが木乃伊になるわけにはいかない。
とりあえず、自力で山越えができる者だけを救出することにした。
選ばれた24名は半死半生でサクラメントに辿り着いた。(うちの2名が途中で死亡)。
しかし、残された32名の運命はより悲劇的なものとなった。
救助隊は彼らに食料を残していくことが出来なかったのである。

3月1日、第2救助隊が到達した。恐れていたことが現実のものとなっていた。
救助隊がまず見たものは雪原に横たわる骨格標本。
救助隊に近づく男は、悪びれるでもなく誰かさんの脚を腰からぶら下げていた。
この脚のかつての所有者はジョージ・ドナーの弟、ジェイブ・ドナー。
夫人は夫を食べることを拒否したが、子供たちには切り分けて食べさせていた。

救助隊の食料不足は前回と同様だった。
女子供を含めて14名だけが救出された。
約半数だ。
しかし、彼らも救出されたと喜んではいられない。
激しい吹雪が襲い、食料はあっと云う間に底を尽いた。
7つになるメリー・ドナーが無邪気に云った。
「また死んだ人を食べなくちゃね」
1時間もしないうちにグレーブス夫人が跡形もなくなった。
彼女はその乳飲み子が寝かされた横で解体された。
結局、11名が救助されたが、ショックのあまり自らの体験を語ることは出来なかった。

一方、トラッキー湖畔のキャンプでは、ジョージ・ドナーの家族を中心とする十数名が3回目の救助隊を待っていた。
さて、ここでルイス・ケスバーグが登場する。
彼は完全に狂っていた。
しかし、ジョージ・ドナーが凍傷で死にかけている今となっては、彼が事実上のリーダーだった。
次の救助の到着まで、彼らは嫌でもケスバーグの指示に従わなければならなかった。
或る日、ケスバーグは4歳になるジョージ・フォスター(インディアン殺しの子)を自分の横に寝かせた。
翌朝、ジョージは冷たくなっていた。
誰もが殺人を疑ったが、ケスバーグは自然死を主張した。
そして、屍体を逆さまに吊るして、ナイフを研ぎながらこう云った。
「さあ、早く食べようぜ」

3月13日、第3救助隊が到着した。
生存者の半分が食べられていた。
ドナー夫人は重体の夫を残していくことを拒んだ。
結局、雪解けまでこの地に留まることとなった。
夫人一人では心配だからと、ケスバーグも残ることとなった。
彼を残すことが一番心配だったが、今回は食料を十分に残しておくことができたので、よもやそんなことはあるまいと高を括っていた。

4月17日、最後の救助隊がこの呪われた地を訪れた。
生存者はケスバーグ一人だった。
「ドナー夫人は何処だ?」
「そこにある」
見ると、そこには大きな鍋二つに波々と血が満たされ、切り取ったばかりの肝臓がフライパンの上で調理されていた。
「残りは喰っちまった。これまで喰った中で、彼女が一番旨かった」
ケスバーグの小屋を捜索すると、なんと、牛の肉も見つかった。
前回の救助隊が置いていった干し肉だ。ケスバーグは極限状態で夫人を喰ったわけではなかったのだ。
「どうもこの干し肉はパサパサで、俺の口には合わないんだ。人の肝臓や肺臓の方はよっぽど旨い。それに脳味噌ときたら、そりゃもう、スープにすると最高だぜ」
呆れた救助隊はケスバーグを拷問にかける。
しかし、彼はとうとう夫人の殺害を認めなかった。

それからの彼は、あのドナー隊の最も血塗られた生き残りとして、カリフォルニアの名物男となった。
彼は酔うと決まってドナー夫人のノロケ話(?)を始めた。
「柔らかい、いい女だったあ。俺はあの女から4ポンドもの脂肪を煮出したものさあ」

1850年代初め、ケスバーグはステーキハウスを開店した。

宣伝文句に曰く、
「最上の柔らかい肉しか扱いません」




 

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