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【ゾッとする話】一人で耐えに耐えた結果は…

   

そそり立つ岩と原生林で有名な傾山のふもと、上畑の里にたくましい一人の若者がいた。

名を吉作(きっさく)といった。
一人息子の吉作は、幼い時、猟やきこりをしていた父に死に別れ、母の手一つで育てられた。
が、その母もやがてこの世を去った。

吉作はひとりぼっちになったが、身も心も強くたくましい山の男に育っていった。

吉作の仕事は、イワタケ取りである。

イワタケを取るのはむずかしく、シュロ綱をたよりに絶壁にへばりついて、岩肌からかき取らなくてはならない。
そのために、特に丈夫な体と勇気が必要であった。

ある秋の日、吉作はいつものように傾山に登った。
北尾根は前傾と呼ばれ、二つ坊主、三つ坊主などのそそり立つ岩が連なっている。

坊主というのは、岩がちょうど坊主頭をふりたてているように見えるからだ。

二つ坊主、三つ坊主のあたりは、吉作の仕事場である。

小さな岩の割れ目、一つのひださえ知り尽くしている。

その吉作がまだ行ったことがないのは、二つ坊主、三つ坊主の主尾根から少し外れてそびえ立つ、ひときわきびしい岩の峰だった。

すばらしく天気のいい日だった。

祖母山が西のほうに手に取るように見え、はるかかなたには、久重や由布の山々が美しく見えた。

早めに昼食をすませた吉作は、今日の仕事の場にその岩を選んだ。

岩の割れ目や木の根を伝ってよじ登り、ようやく、岩の頂上に立った。
岩かどの五葉の松(ヒメコマツ)の根っこにシュロの綱のはしをしっかりとくくりつけ、それを伝って絶壁を少しずつおりる。

予想した通りイワタケはたくさんあった。

腰のかごは、みるみるいっぱいになった。

吉作はかごいっぱい取れたので、うきうきしていた。

綱のいちばんはしまで降りてみたが、岩壁はまだまだ高く、秋の日に赤く染まる林ははるか下の方である。

ふと見ると、足のすぐ下に小さな岩の棚があった。

ようやく立てるぐらいであったが、ちょうどよい休憩場所である。

吉作は綱のはしの結びこぶしをにぎり、いっぱいに背を伸ばして岩の棚におりた。

片手で綱を握って仕事をするという苦しい姿勢から自由になった吉作は、疲れがとれるまでそこで十分に休んだ。

「では帰るとしよう」

今度は綱を伝って、岩壁の頂上まで登るのである。
手を伸ばしてみて吉作ははっとした。

綱がない。

あるにはあるが、綱のはしに手が届かない。




吉作の体重をささえて伸びきっていた綱は、吉作が岩の棚におりて手を放したため、手の届かない上の方にはねあがってしまったのだ。

イワタケ取りの名人の吉作も大変慌てた。
岩壁には手がかりがない。
手にしている道具といえば、イワタケをかきとるためのヘラだけである。

これでは、岩壁に傷をつけることさえできない。
かごを踏み台にしても手は届かない。
自分の力だけでは、もはや登ることもおりることもできない。
吉作は、岩壁の途中に取り残されてしまったのだ。

助けを呼ぶ以外に、もはやどうすることもできない。吉作は叫んだ。

「おーい、おーい。助けてくれえー」

声をかぎりに何度も何度も叫んだ。
声ははるか下の林にすいこまれていく。
上畑の里は遠い。
もし、自分の声を聞いてくれる人があるとすれば、上畑、九折(つづら)方面から、九折越の峠道をたどり、日向(宮崎県)の見立に向かう旅人である。

だが、返事は何一つなかった。

秋の日暮れは早く、岩壁を照らしていた日はすでにかげり、夕闇とともに厳しい寒さの夜がやってきた。

寒さと怖さと空腹に震えながら、岩を伝う水のしずくにのどをしめした。
次の日も、朝早くから叫びつづけた。

大きな声で何度も何度も叫んだ。

声は岩壁にこだまして、山の谷間に消えていった。

二日たち、三日たった。声は次第に小さくなった。

それでも、吉作の声は人の耳には届いてはいたのだ。

九折の里人が、あるいは峠の旅人がそれを聞いた。

しかし、吉作の声が人の耳に達したときは、岩壁にこだまして、すでに人の声ではなく、ばけものの叫び声のように聞こえた。

「傾山からばけもんの声がするぞ」

「天狗がよんじょるんじゃ」

うわさが広がった。

「人をとっち食うそうじゃ」

うわさがうわさを生み、峠道を通る人もなくなった。

上畑の里にもうわさは届いた。

だが、ひとりぼっちの吉作がいなくなったことと、このうわさを結びつけて考える人はいなかった。

何日たっただろうか。

岩の棚の吉作は、飢えと寒さのために、ほとんど意識を失いかけていた。

声ももう出なくなっていた。岩の棚から落ちないのが不思議なくらいだった。

それというのも、日ごろ、岩壁での仕事を体が覚えこんでいたからであろう。

そそり立つ岩の上を、鳥が悠々と輪をかいて飛んでいる。

はるか下の林では、木々が鮮やかに紅葉している。

「鳥のように飛べないものだろうか」

と、おぼろげな意識の中で吉作は考えた。

わずかに身動きしたところ、岩の棚から小さな石のかけらが落ちた。
上から見ると、実にゆっくりと、まるで木の葉が舞い降りていくようだった。

吉作は、石のかけらと飛ぶ鳥に自分自身のまぼろしを見た。

「ここから飛んだら、おれもふんわりと林に舞い、静かに谷間に降りられるのではあるまいか」

吉作はついに身をおどらせた。

谷間の岩は、林の紅葉より赤く染まって美しく見えた。

生まれてはじめて見る美しさだった。

その美しさの中に吉作は消えていった。

九折越えの峠道に再び人が行き交うようになったのは、その年の秋も終わるころであったという。





 

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